HOME > 学友会活動 > 学友ネットワーク > 常松先輩を偲ぶ

常松先輩を偲ぶ

常松先輩を偲ぶ

元学友会事務長で昭和63年に大学を退職された常松清孝先輩(専門部17期卒、旧姓富岡)が平成24年1月10日に逝去されました。(享年88歳)

先輩から頂戴した数々のご指導と永年のご厚情に感謝しここに一文を捧げ安らかに眠られんことを祈念します。

常松清孝氏略歴

昭和 48年 1月 拓殖大学国分寺寮舎監
昭和56年 4月 花小金井体育寮舎監
昭和56年 9月 学友会勤務(出向)
昭和62年 4月 事務局総務部調査役
昭和63年 3月 定年退職

常松先輩のこと

常松先輩から届いた今年の年賀状は、あの独特の力強い文字ではありませんでした。多分ご家族が代筆されたのでしょう。その「代筆」が気になっていた矢先の訃報でした。

私が学4の春のこと、当時、国分寺寮の舎監をされていた常松先輩が自衛隊のご出身だと知り、国分寺寮の舎監室を訪ねました。私は卒業後の進路として防衛庁(自衛隊)を志望しており、採用試験にあたってご相談したいと思ったからです。

常松先輩からは「そうか自衛隊志望か、がんばれ。」といろいろとアドバイスをいただきました。それが常松先輩との最初の出会いでした。その後、夏休みを終えた頃、運良く防衛庁職員採用試験の合格を手にすることができました。早速、国分寺寮に常松先輩を訪ね、「合格」を報告したところ、「おおそうか、良かったな。」と自分のことのように喜んでいただきました。その時の常松先輩の嬉しそうなお顔が今でも思い出されます。

防衛庁には暫く勤めた後、縁あって母校の職員として戻ることになりましたが、防衛庁を辞めたことについては何も仰いませんでした。その後、常松先輩は学友会事務長、総務部調査役を歴任されましたが、総務課では同室で勤務させていただき大変ご厚誼を賜りました。また、学友会事務長在職時には、懸案となっていた「拓殖招魂社合祀者名簿」の整備にご尽力いただき、その原本となるものを作成されました。

拓大の大先輩としてのみならず、自衛隊の先輩、職場の先輩、厳しくも父親のように接していただいた常松先輩に衷心より感謝を申し述べ、ご冥福をお祈りします。

合掌

渡辺 実(72期)

故常松先輩の思いで

常松先輩の御訃報を、かつてご一緒させて頂いた学生生活課(現国際課)の事務室で知り、ただ愕然とするのみでした。それと同時に在りし日の身体全体から発するような、学生顔負けの大きな声で指導を行っていた姿が目に浮かびました。

思えば昭和55年秋、私は国分寺体育寮の業務に携わることになり、舎監として寮生指導に精通されていた先輩から多くのご助言を頂きました。先輩の寮生指導の基本を勝手に忖度すれば、「寮生が自主性を発揮できる環境の確立」と「寮生との交流時間の確保」そして「大きな声による簡潔明瞭な指導」などの点にあったと思います。

その後、私自身も花小金井体育寮の担当を経て昨年からは留学生寮に携わる機会を頂いておりますが、私の寮生指導の原点は常松先輩の教えにあると云っても過言ではありません。

去る1月15日夜、久しぶりにお会いしお別れを申し上げて参りましたが、ここにあらためて生前のご厚情を感謝するとともに心よりご冥福をお祈り申し上げす。

合掌

海老澤 克明(72期)

常松先生の思いで

先生との出会いは、八王子学生生活課の勤務したことに始まります。小柄で温厚であり、きびきびとした学生指導をされていました。厳しいけれど温かい同窓の先輩の愛情を感じました。以来、八王子・文京と勤務地は離れていましたが学内で会うたびに、元気ですか?といつも優しく声をかけてくださいました。定年間近の総務課在職のときには同じ課の先輩として公私にわたってご指導をいただいたき深いご縁を感じました。思い出に残る記憶もたくさんあります。ご退職後も賀状を交換していました。

今年になって陸軍中野学校の資料を読む機会があり、常松先生の顔を思い出し是非お話を伺いたいと思った矢先に訃報に接しました。お別れに伺いましたがとても残念です。

ご冥福をお祈りいたします。

大久保 達也(75期)

常松清孝先輩を偲ぶ

平成24年が明け成人の日も過ぎた1月10日、たまたま総務課に伺ったところ常松先輩の訃報をお聞きしました。松の内が明ける15日には、西国分寺の東福寺においてお通夜が営まれ別れに伺いました。位牌に刻まれた戒名は「正観院釋清拓」。「拓」のひと文字を入れられたのはご遺族の強い意志とのことでした。

常松先輩との出会いは昭和52年4月に遡ります。入学時、鹿児島から上京した私は国分寺にある男子寮に入寮しましたが、そこで舎監をされていたのが常松先輩でした。早朝の点呼に始まり挨拶、清掃、食事、門限など、日常の寮生活において厳しくご指導いただき寮生としての規律と精神を教わりました。

卒業後、幸いにして母校に奉職できた私が最初の配属先となったのは学友会事務局でした。当時、旧B館一階にあった学友会事務局には、事務長をはじめパートやアルバイト学生、学友会役員の方など大勢の人たちが出入りされていました。ここで事務長を務めておられたのが常松先輩で約1年にわたってご指導頂きました。小柄できびきびとした動きに加え、素早い決断と迅速な対応により業務を処理されていました。総務担当であった私はこの時に文書業務や管理業務等を徹底してご指導頂きました。また、専任職員として常に「率先垂範」すべきことの大切さを仰っていました。私にとって学寮時代も含め新人の時期に常松先輩とご一緒できたことは、大変貴重であり現在の自分を形作っているといっても過言ではありません。

聞くところによれば常松先輩は陸軍中野学校のご出身とのこと、自ら口にされることはありませんでしたが、今から思えば強い責任感と迅速な行動からそれは容易に想像できたことでした。終わりに中野学校出身者が別れに歌うという「三三壮途の歌(さんさんわかれのうた)」を賦して常松先輩に慰霊の微衷を捧げます。

一.赤き心で 断じてなせば
  骨も砕けよ 肉また散れよ
  君に捧げて ほほえむ男児

二.いらぬは手柄 浮雲の如き
  意気に感ぜし 人生こそは
  神よ与えよ 万難我に

三.大義を求めて 感激の日々
  仁を求めて ああ任得たり
  アジアの求むは この俺たちだ

竹内 正二(79期)

以上



Copyright (C) 2008 Takushoku Univ. Alumni Association All Rights Received